かめみがいなくなって一年が過ぎ、今年も同じ季節が巡ってまいりました。私にとって、この一年は短かったような、 長かったような・・・17年間いつも傍にいたあのかめみと会えなくなってもう一年。もうそんなに経ったのかと思う一方で 一年前にはまだ孵化して間もない赤ちゃん亀だったくるみが見違えるほど立派になっているのを見ると、やっぱり あれから確実にそれだけの時が流れたということなんだなぁと思い、かめみがどんどん遠い想い出の中の亀と なってゆくことに寂しさも感じます。 私のペットロス体験を皆様に分かち合える日が早く来ればいいなとずっと願っていながら、そのことを思い出して 文章にする気持ちになれず、なんとなく億劫で、お話しできないままになっていました。しかし、今ようやくかめみのいない 暮らしが普通になり、この一年を客観的に振り返る気持ちの余裕も持てるようになりました。一年が過ぎて気持ちが 落ち着き、やっとみなさんに体験をお話する機が熟したということでしょう。 ”ペットとの別れ”は、誰にとってもできればあまり考えたくはない、永久に目をそむけ続けていたい事柄ですが、 いつか訪れてしまうかもしれないその時のことを常日頃から真剣に考えて、そのことを心の片隅に置いておくことは、 動物達とのよりよい関係を築いていくためにも、そして、不幸にも悲しい日が訪れてしまった時に少しでも穏やかな 気持ちでいられるためにも、大切なことだと思います。私の味わった悲しみを皆さんにも分かち合い、ペットロスに ついてご一緒に考えていただく機会となり悲しい出来事が悲しいだけで終わらず、皆様と愛亀ちゃんとの心の絆を 一段と深めていただくためにわずかでも役立てることができれば嬉しいですし、そうなれば天国にいるかめみも きっと喜んでくれるでしょう。 かめみが死んでしまった時の気持ち かめみやくもすけとも、生ある限りはいつか必ず別れの日が来ることは覚悟していたつもりでした。 しかし、それはまだまだずーっと先のことだろう、と勝手に思い込んでおりました。その日がまさかこんなに早く 来るなんて!これから永久にかめみがいない暮らしをしていかなければならない、と思っただけで希望が すっかり消え去ってしまったような気持ちになりました。しかも、かめみは特にそれまでに病気をわずらって いたわけでもなく、突然襲ってきた悲しい出来事で何の覚悟もなかっただけに最初の一週間ほど、私は 全身の力も魂も抜けてしまったような感じになっていまいまいた。しかし、その一方で、かめみが死んで しまったという事実を知ったとき、「もしかめみが死んでしまったらどんな気持ちになるだろう」と以前から想像し、 恐れていたような状態とは全く違い、心の中は平静で落ち着いていられたのが意外で、自分でも驚きました。 ペットを失った直後、飼い主の心を客観的に見たとき一般的に起こるのが「愛するペットの死を受け 入れることができず否定するような気持ち」、そして「あのときもっとこうしていればよかったのではない だろうか、というような後悔や罪悪感みたいな気持ち」なんだそうですが、私に関してはそのような気持ちを あまり感じませんでした。妙にあっさりと「仕方がない」という気持ちになっていました。もちろん、 突然のことすぎて訳がわからず諦めざるを得なかったのかもしれませんが、私なりに精一杯のことをし、 可愛がってやることができたと感じ満足していたから、姿は見えなくなってしまったけれどかめみとはどこか でずーっと繋がっている信じていたから、そして何よりも、私にとっては確かに悲しい出来事であったし、今はとても 辛いけれど、大きな流れの中で見れば決してマイナスの出来事としてではなく、何か大切な意味があったから こそ起こった出来事だったのだと確信でき、起こったことすべてを前向きな気持ちで捉えていたからではないかと 思います。 もちろん、欠点だらけの飼育でしたから、こうしてやればよかったと思うことがないわけはありませんし、そういうことに 心を向け始めると後悔の気持ちや罪悪感は今すぐにでもいくらでも溢れてきそうです。しかし、人間のすることに 「完璧」なんてあり得ませんから、ああしていればよかったという気持ちが残るのは普通のことですし、可愛がって 育てていればいるほど、その気持ちも強く感じられるのが当然ではないかと思います。 辛かったこと 私が一番辛く感じたのは、今までずっと傍にいてくれ、支えてくれていたかめみが消え去ってしまった後の 空虚感でした。特にかめみは身体も存在感も大きかったですから、常に何か物足りないような、寝ても覚めても ずーっとそんな気持ちに取り付かれて、突然悲しくて悲しくてたまらなくなるようなこともたびたびありました。 悲しさや寂しさはかなりの部分をくるみが紛らし、和らげてくれていましたが、同じアカミミガメといってもやはり かめみはかめみ、くるみはくるみ、それぞれが世界に2匹といないかけがえのない別の存在ですから、 当然くるみにかめみの役割をすべて果たしてもらうことは不可能でした。そして、この空虚感を癒すには時間 という薬以外はありませんでした。つまり、かめみのいない状態が普通の事となるためには、辛くてもかめみが いない時間を経験し、その状態に徐々に慣れていくしか方法はありませんでした。 もうひとつ辛かったのはかめみとの想い出がたくさんあったこと。かめみとは一緒に過ごした時間が長かった だけに過去の時間のどこを思い出してもそこには必ずかめみがいて、想い出すと辛いのに、想い出さすに いる事がとても困難で、それが辛くてたまりませんでした。一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、 想い出も多く別れたときの悲しみが大きくなるのは当然のことですが、何度も何度も悲しい気持ちになるのは とても辛いことでした。これを癒すのにもやはり時間が必要でした。かめみと別れてからの時間が経ち、 同時にくるみと作った新しい想い出も少しずつ増えるにつれ、徐々にかめみのことを楽しい想い出、可笑しい 想い出として笑いながら話すこともできるようになっていきました。今はかめみがいなくなった、というよりも 我が家には今、くもすけ&くるみ、そして、姿は見えないけれどもかめみ、と3匹の亀がいるような感じです。 くるみが果たしてくれた役割 悲しみから立ち直る方法は人それぞれ、いろいろな方法がありますが、新しいペットを迎え、前のペットと同じように 愛情を注ぐこともそのひとつです。新しいペットを迎えるということはペットロスを克服するためには有効な手段となる ようですし、新しいペットを迎えたいという気持ちになれることも望ましいことなんだそうです。 しかし、ペットが死んでしまったからといって、すぐにその代わりとなる新しいペットを飼い始めることにはためらい を感じる方もいらっしゃると思います。私も最初はかめみの代わりの亀さんを迎えることなど考えられず、 実際にくるみを飼育してみて初めて、新しいペットを迎えることが悲しみを癒すのにどれほど大きな力となって くれるかが理解できました。 新しい亀を飼育することを決心した時、まず飼い主さんが飼えなくなった大きな亀を探して譲り受けようか、 それとも生まれたばかりの幼い亀を買おうか、と迷いました。そして考えた末、お店でかめみと同じミシシッピ アカミミガメの雌を幼い亀を手に入れ育てることを選んだのですが、一年経った今、この選択は私には 正しかったと感じています。かめみと同じミシシッピアカミミガメの雌を、同じように幼い頃から育てることで くるみの姿や成長とかめみの幼い頃のそれらを重ね合わせたり、個性の違いを見ることができ、そのことが 悲しみを楽しみに変えることにも役立ちました。そして、かめみと過ごした時間の17分の1の時間をすでに くるみと一緒に過ごした今、くるみとの新しい想い出もでき、くるみの存在感が私の中でどんどん成長して きています。かめみとは全く違った個性を持ちながら、かめみと同じように日々うちの亀らしく育ってきているく るみが、今度どんな風に育っていってくれるのか楽しみです。 悲しみを共感してくれる仲間の存在 多くの人に自分の気持ちを打ち明けることはペットロスの悲しみを乗り越える一番の方法となるそうですが 悲しい気持ちをひとりで抱え込んでしまうことなく、多くの人に一緒に悲しんでもらい、共感してもらうことは とても大きな力となることは確かです。私も、多くの方に悲しみを打ち明けたことで、過去に大切なペットを失い 同じような悲しみを経験された方がアドバイスをくださったり、私と同じように悲みの真っ只中におられる方々も たくさんおられることを知りお互いに支えあうこともできました。みなさんにはほんとうに助けていただきました。 特に、産卵のアイディアをご提供いただき大変お世話になって間もなく、かめみの2日後にその愛亀のダラちゃん を亡くされたダラちゃんのママさんにはずいぶん助けていただくことになりました。悲しい時にそれに上塗りするか のようにさらに悲しいお知らせを聞かなければならなくなったのですから、それは大変辛いことでした。しかし、 奇しくも同じ時期に同じ悲しみを体験しなければならなくなってしまったことでお互いに支え合うことができました。 悲しみを分かち合えたことはものすごく大きな力となりました。 一方、ペットを失った悲しみ、辛さというのは周りの人にはなかなか理解してもらいづらいのが現実です。 しかもペットとしての認知度が低い亀となればなおさらのこと。話すお相手が 同じように亀を飼育している お仲間(それも、家族の一員として大切に育てておられる方)、あるいはこちらが亀を家族同然のペットとして 可愛がっていたことをよくご存知で理解してくださっているような方であれば、気持ちを打ち明けることで 悲しみを乗り越える大きな助けを得ることができますが、世間には「ペットが死んだくらいくらいで、なんて 大げさな。」と白い目で見られてしまうことも多いことを覚悟しておかなければなりません。そのため、”こんなこと くらいで悲しみ、落ち込んでいる自分は甘えているのではないか、弱いのではないか、”と自分を 責めるような気持ちになってしまい、かえって落ち込んでしまうことになり兼ねません。実際に私も”亀を飼ってる なんて変わってるわね。”と常日ごろから言われてきた方にはいくら身近な所にいて頻繁に出会う方であっても かめみが死んで今悲しみの真っ只中にいるということは話す気持ちになれませんでした。飼い主さんと その動物たちとの関係、触れ合い方、結びつきはそれぞれですし、そのペットがどのくらい飼い主さんの 心の支えになっていたかは、その飼い主さん以外、誰にもわかるはずはないのです。そのペットがどんな 種類の動物、生き物であったかも関係はありません。理解してくれない人がいることは仕方がないと 受け止めて、他人の言動には惑わされず、自分の気持ちに正直になって、悲しいときには遠慮せずに 思いっきり悲しみましょう。「元気を出して!」「悲しまないで!」「がんばって!」と励ましてくれる人も いるけれど、無理をせず一度は思いっきり気持ちに正直にになってみることも、悲しみから早く立ち直るために とても大事なことです。 ペットロスに陥らないために 亀は他のペットと比べると寿命は長いですが、それでも、ペットというのは飼い主より先立って死んでしまう と考えておかなければなりません。早かれ遅かれ、いつかは必ず経験しなければならない愛するペットとの 別れ。そのときの悲しみを少しでも軽くし、あるいは悲しみを早く克服し、ひどいペットロスに陥らないように するためには、常日頃から心を込めて飼育をし、今、可愛い家族と一緒にいられることに感謝しながら、 その時間を一日一日大切に過ごすよう心がけておくことが大事ではないかと思います。 さらには、目に見えていることだけがすべてではないと知ること、わからなくてもそれをわかろうとしてみること もしかしたら、これは何よりも優れたペットロス症候群予防になるのではないかと私は考えます。 虹の橋 これはかめみを失って悲しんでいたときに、飼育仲間さんから教えていただいた素敵なお話です。亀に限らず 家族の一員として大切に育ててきたかけがえのないペットを失ったとき、慰めとなり辛く悲しい気持ちを優しく癒して くれる素晴しいお話です。 「虹の橋について」もご覧ください。 また、ダラちゃんのママさまが、虹の橋で幸せに暮らす亀さん達に想いを馳せながら数々の水墨画作品 を描いて「ギャラリー虹の橋」でご披露くださっています。物語と合わせてぜひご鑑賞ください。 |